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2007年12月31日 (月)

マンガ感想:韓国純情漫画に見る伝統文化と女性のアイデンティティの相克

※韓国純情漫画:韓国では日本の少女マンガに相当するものをこう呼ぶ。

この3年ぐらいの間に家神に関するネタにした純情漫画と十代の少女を主人公にした漫画を三作読んだ。イ・ビン「MANA」、マリ「トッケビの新婦」、イ・ウン「プニョのギフトショップ」。

いずれも家神の最高神である성주を探したり招聘したりする굿(韓国のシャーマニズム)を巡るエピソードだった。そこでムーダン(韓国のシャーマン)の血をひく女性達が活躍する訳だが、物語の背景は一筋縄ではいかない。

問題は、近現代韓国のシャーマニズムに対する姿勢だ。マンガ以外にドラマや小説でも、NHKラジオハングル講座テキストだけを見ても、連載エッセイ「ことばと民俗」の『花王の仙女さま 巫病と巫堂』(村上祥子、2005年10月号)で紹介されている韓国ドラマや「あのころあの町で」より『ムーダン』(チ・ジョンカン作、2005年7、8月号。NHK出版より刊行)のエピソードでムーダンに対する差別と偏見は相当なものだったことがうかがえる。いずれもやはりこのニ、三年の間に発表された記事だ。

上記漫画に共通する物語の家族構成がある。祖母、母、娘の三代に渡る縁だ。祖母がムーダンであり、母は、というかその世代は偏見や迷信としての無視を決め込むか、生涯、血筋を拒絶して苦悩し続けた。そして物語の舞台=現代はその娘の世代だ。

作者達の描く娘達の姿は各々少しずつ異なってくる。

・祖母のように自分もムーダンになろうとしたが自分には鬼神が「見えない」ので民俗学の勉強をしつつ「見える」体質の女性を探し出して굿に協力させる。

・ムーダンの血筋ということに苦悩しながら亡くなった母を見て、育ててくれた祖母(ムーダン)との思い出を大切にしながらも、やはりムーダンの家系ということで白眼視された経験から巫術を拒絶していたが、やがて自分の中のムーダンの能力に向かい合い始める。

・母を早くに亡くしてムーダンの祖母に育てられたが、祖母のことも母のことも嫌悪して、シャーマニズムも拒絶している。

いうまでもなく、この女系三代は現代韓国史そのものだろう。解放後の急激な近代化、合理主義に邁進し、祖母の世代のシャーマニズムを前時代的、非科学的として排除しようとしていた母の世代を経て、文化の成熟と余裕を感じ始めた現代において、自分達の伝統文化を見直し始め、その一方で政治や社会問題に向けていた視点を個人の内面心理にシフトし始めた娘達の世代。

それはヒロイン達に投影した作者達の視線そのものかもしれない。

シャーマニズムと個人の心理は非合理性という点で、近現代化と対立する要素として結びつく。

上記三作のいずれもヒロインが最初に出くわすのは家の中の様々な神々の事件だ。朝鮮半島には家内神の信仰が多いから、というのは当然あるだろうが、そういった伝統の一方で「家」は様々な抑圧の象徴でもある。特に女性は現代に至るまで家に制約されている。

そう考えればシャーマニズムと個人の心理は、伝統と「自立・自由」において対立する。

漫画の中で「家」の神々を巡る事件に取り組む女性の姿は「伝統」の継承と個人の「自由・自立」の相克に悩む精神的成長にも喩えられるだろう。

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