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2008年10月19日 (日)

本感想:天下無敵のお嬢さま! 4 柳館のティーパーティー

濱野京子・作。こうの史代・画。フォア文庫(童心社)。
開業医の娘で小学六年のお嬢様(あくまで自称)、中国武術の達人でもある沢崎菜奈、その家族、友達を巡って、皆が暮らす町、花月町に起きる不思議な事件を描くSFミステリー第四弾。

以下ネタばれも有り得るので注意。

色々な意味で魅惑のゴーストストーリーだった。
今巻でも発端は恒例、美少年に出会っった菜奈の一目惚れ・・・の筈なのだが、語り手がいつもの菜奈ではなく、シリーズ第一弾「けやき御殿のメリーさん」で花月町に引っ越してきて親友となった芽衣の視点で、主人公の菜奈自身に降り懸かった事件を描いている。
珍しく取り乱した姿の菜奈が描かれたりして面白い。ミステリー史的(笑)に言えば、クリスティーの「アクロイド殺し」以降試み続けられる叙述形式の転換か(注:私に評論の素養はなさそうだ)。
これまでは全て菜奈の視点で描写されてきた芽衣の複雑な家庭事情と感情が、その芽衣自身により吐露されている。
しかし、たちの悪い露悪語りではない。芽衣の心情は、あくまで、親友菜奈への気遣いに向けられている。毎回、テレパシーで語りかけてくる、事故で眠り続ける母親、桜子も、今回は菜奈を心配している。桜子の力?を借りて、啓太に会う芽衣の描写はその白眉だ。
シンプルな叙述の中で非日常に入り込む芽衣の勇気と畏怖が自然かつスリリングだ。
改めて気が付いたが、この複雑な母子をつなげているのも、菜奈という存在だ。

そして、文字通り恋に取り憑かれた菜奈を救う為に、芽衣をはじめ、いつもの友達やメリー叔母さんが奮闘する訳だが、その渦中でも、菜奈は、或る失われた家族関係を回復するために、実は暗躍(笑)していたことがクライマックスで判明する。
菜奈を語り手から外すことによって、菜奈が人々をつなげる存在であることを再認識させられた。
これらの構成からうかがえるのは、自分の存在は、誰かのためにいきてこそ光り輝く、自分の幸せのためだからこそ他者の為に生きる、それでこそ価値がある、ということかもしれない。

さらに今回は、愛する家族を失い、残された者は、どうすればその心を癒すことができるのか、という今日的なテーマに取り組んでいる。三者三様で、「何故自分が」という問うても答えの得られない命題に苦悩する姿は、読んでいて胸が痛む。

この物語は、春に始まり、今回で半年を過ぎたようだが、まだ小学校最後の年度は終わっていない。しかし、一つの節目を迎えたように読んで感じた。個人的には、まだこの登場人物たちに付き合ってみたい気もするが、作者は既に青春小説の新作も次々と著わしている。飛躍し始めた作家を縛り付けることもできないだろう(笑)。
あるいは、作者は制服に縛り付けられる芽衣を見たくないのかもしれない。

また、現代ストーリーマンガ屈指の技巧派、こうの史代の挿絵は今回も素晴らしい。シンプルな手書き線で、どうしてここまで生活臭を感じさせられるのか。個人的なベスト挿絵は、俊樹の膝小僧の絆創膏と手足や頬の擦り傷(泥汚れかな)。こういう子を見かけなくなって久しいねえ。

以下は、個人的な趣味で細部についての感想を。このシリーズは、いつも郷愁と共感を感じる描写が多いので楽しい。「雑木林の空家」子供達はそれを幽霊屋敷と呼ぶ・・・昔はそういう所が確かにあった。今時はすっかり林がなくなってしまった。「カバンを玄関に放り出して」直ぐ出て行く芽衣・・・親が呼ぶ間もなく遊びに出て行く子供。かつてはそんな光景があったねえ。「メリー叔母さんの体重」・・・ブル中野は現役時代100キロ越えていた体重を60台まで落としたとか。「紅茶」大事なのは葉でなく入れ方だ。・・・同感。

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