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2009年12月19日 (土)

アニメ感想:獣の奏者 エリン 第49話

「決戦」

前回、セィミヤが感動した美しい夜明けの光景に、今回は闘蛇の軍が行進する。この絶妙にして痛ましい退避。
小刀の刃に映るエリンの瞳は、憂いも無く険しい。
セィミヤの手を使った表現は見事。シュナンを中心に闘蛇軍を包み込みつつも、ダミヤの思惑には納まらない。覇王としての自覚と決意を示しつつ、新しい時代を夢見る若者の眩しさと幼さ。
ダミヤが見たセィミヤの神々しさ。だがそれは、所詮は古い体制を維持する保守派の視点だ。
改めて思う。上橋菜穂子の世界は、斜陽の王国だ。封建的な体制は、崩壊の必然を内包している。だが、崩壊直前の一時の輝き。それが上橋菜穂子の王国の黄昏の美学だ、と私は思う。
余談だが、上橋菜穂子は封建体制下の恋愛に信仰を持っていないと思う。そういう体制下では恋に地位、立場が優先する、その程度のものだ、とあるいは無意識に考えて描いていると思う。故にソヨンの掟破りの大罪とは、闘蛇や王獣の秘密ではなく自由恋愛こそが真の大罪なのだ、と私は考える。
話を戻して、シュナンが一人で走り出す。無茶だ。とは思うが、年寄り視点で言わせてもらうなら、愚かさは、夢を見る若者の特権であり、それもまた眩しい姿だ。
横から襲いかかるヌガンの闘蛇軍、ダミヤに懐柔されていたヌガン。保守派の伝統様式、形式の美しさに凝り固まってしまった若者の姿もまた、哀しいが一方の極だ。
エリンの「見てるだけ」このつぶやき、先の、ナソンにぶつけた怒りのセリフと呼応していて、巧い。自分が投げたセリフが結果的に自分に返ってくる。これは視聴者にとっても貴重な教訓だ。見事に教育テレビしている(これは私の皮肉ではない。本気だ)。
よく、原作アニメ問わず、エリンの行動を、自分勝手とか、首尾一貫していないとか、世界を振り回す迷惑行為とかの感想並べる声があるが、それがどうした?。「獣の奏者」とは聖人君子の物語ではない。そういう感想が出てくるのは偉人伝記の弊害だ。世界を変える発見をした科学者は決して人格者ではないし、その成果に清濁、賛否、長所短所etcあるものだ。
クライマックス目前につい感傷的に、自分語りみたいになってしまった。

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» 獣の奏者 エリン 第49話「決戦」の感想。 [いーじすの前途洋洋。]
獣の奏者 エリン 第49話 「決戦」 評価: ── その手に自由と意志とを持って自分の足で行く道を決めることでしょう 脚本 ... [続きを読む]

受信: 2009年12月19日 (土) 20時28分

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