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2010年8月28日 (土)

アニメ感想:これがアニメ「キテレツ大百科」だ。その1

以下は、もう十年以上前、友人がアニメ「キテレツ大百科」本を出すというので、提供した原稿が元になっている。しかし同人誌は出ることなく、現在に至り、PCの中に原稿は残っていることをふと思い出したので、もうこちらで使っても構わないだろう、とタカをくくって多少手を加えてブログにアップすることにした。

『なぜ「アニメ・キテレツ大百科」なのか』

今一度、アニメキテレツの面白さを記しておきたい。大ブームとは縁がなかったというだけで、8年近くもゴールデンタイムで高視聴率を維持した名作ドラマが忘れ去られてほしくはない。ささやかながらその一助になることを切に願っている。

・オリジナル路線へ

藤子不二雄の原作をそのままにいかに演出してみせるか、それは先行するシンエイ動画と芝山努がすっかり定着させていた。アニメキテレツでは今度は原作を再構成する方法に挑戦した。余談だが、この成功が、アニメキテレツの脚本を担当した雪室俊一が後にシリーズ構成を担当したNHKのアニメ「ポコニャン」でアニメキテレツとはまた違ったナンセンスとハイセンスな魅力の傑作を生み出した。

藤本先生のドラえもんは全てが昔のままな訳ではない。作中に描かれる小道具は時代に合わせて変化している。例えば登場するおもちゃはプラモデル→TVゲーム→ミニ4駆等。しかし空地と土管は残り続けた。そこには、子供に伝える「べき」ことは「いまだ」変わっていない、という信念が感じられる。芝山努とシンエイ動画もそれを理解しているからこそ、空地と土管を描き続けた。

アニメキテレツはそのことを理解した上であえて、それらを取り去った。集まる空き地のない子供達は昼間は学校、それ以外の時は電話で連絡を取り合い、家々を駆け回り、時には勉三さんの車に便乗し、電車に乗って移動する。そこには雪室俊一の脚本が描くものは、藤本先生とは変わったが、藤本先生の考える子供に伝える「べき」ことを、雪室も「子供に間違いなく伝えている」との自信がうかがえる。15分二本立てのギャグアニメの定石から、早々と30分一本のオリジナルストーリーに構成を変えるとアニメキテレツはその創作方法の特徴が明確になってくる。

・ミステリー構成の採用

まず、ストーリーの構成は主にミステリーの形式が取られている。これは実は重要なことだ。現在世間で、小説を含めあらゆるメディアで、ミステリーがこれほど普及している状況を振り返ってもらいたい。よく書店で「推理・SF」とジャンルを並べて取り扱っていることが多いが、実はミステリーの市場はSF等とは比較にならないほど大きい。何故か

はじめに事件が起こり、事件には謎があり、その謎が解かれていくプロセスを見せるのがミステリーの構成だ。この構成こそ、老若男女を問わず最低限、観る者、読む者の関心を引き付けておけるのでないか。アニメキテレツはミステリー構成を基本としてストーリーをきっちりと作り一話30分間、確実に観る者の興味をつないだ。

・題材の多彩さ

毎回他のギャグアニメでは観られないほど、様々な題材が取り上げられている。「古い百科事典」を巡る旧仮名表記をトリックにしたドタバタ。委員にふさわしい人はどんな人か?について真面目な意見が交わされる。蜂蜜とパンと戦争という変わった取り合せ。日本占領地時代の中国。チンチン電車、銭湯、昔の映画上映会といったノスタルジックなネタ。同時にキャラクターの方でも子供の突飛な発想と行動がトリックとなって事件が展開する。

・背景の美しさ

忘れてはならないアニメキテレツの最初からの魅力の一つに背景がある。水彩画のような淡い色彩で遠近法を駆使して、いわゆるギャグアニメと違ってデフォルメなしで緻密で奥行が深い。アニメキテレツは子供たちの日常のドラマだ。子供たちのドラマを支える舞台である「街」の姿がしっかりと描かれているので、観る者に対し、物語が自然に真に迫ってきている。

・現代風刺

以上のような経験を蓄積してアニメキテレツは次第に「現代都市生活」を映し始めた。子供の頃から夕食を家族一緒にとったことのない女性、「カブトムシ」に関心を示さない、それどころか気持ち悪がる子供達、夏休みの家族揃っての「バカンス」の大型化、さらに家族旅行さえ面倒臭がる出無精な少年(キテレツである)。かつてのマンガのパターンとは180度変わった「現代っ子達」が登場している。

登場人物だけではない。さらにキテレツのご先祖キテレツ斎の「発明」さえも現代的解釈を施している。例えば「電気鈴」という幽霊探しの発明をキテレツが「うまくいったかどうかはわからない」と言っている。つまりアニメキテレツにおいては発明は絶対ではないという前提を持ち込んでいる。その上でこの幽霊探し道具が雨や霧といった空気の湿り現象に反応するという科学的解釈を説明している。

・レギュラーキャラクターの役割変化

現代を描き始めるに合わせてレギュラーの役割もこれまでの藤子アニメの典型的なパターンから変化し始める。先ず最初に本来なら「いじめっ子のがき大将」役のブタゴリラ。前述した現代都市生活の舞台の中に、対照的に八百屋の息子という前時代的な設定で登場することでストーリーをかき回したり騒動を巻きおこすギャグメーカーとなった。このブタゴリラ一家のドタバタが現代の日常生活をより際立たせている。コロ助もロボットという非日常的な存在に加え思考や行動が幼児的なために騒動を巻きおこす、ブタゴリラと同様な役割に。従来の藤子アニメではキザでお金持ちでゴマスリの役割に相当するトンガリも、トンガリのママと現代的な母子べったり関係(過保護、子離れしない母親)を「派手に」演じて、ギャグを生み出すようになった。ブタゴリラとの関係も、ブタゴリラのボケに突っ込みを入れる役割が強調されるようになった。みよちゃんも添え物的キャラではない。キテレツ達を出し抜くような行動力を見せたり、やりこめたり、恋をしたり等大活躍する。そしてキテレツは、発明に熱中する「オタク」少年ぶりが基本だが、発明家=ドラえもん的な役割を経て徐々に科学的に事件を調査、究明するしっかり者の「名探偵」の役割が定着する。

・中締め

以上をまとめると「現代都市の日常の事物を舞台とした科学冒険ミステリー児童ドラマ」となる。長いフレーズで白けるが、それだけ内容豊富なドラマなのだと思ってほしい。

・方向性が定着してくると、以降は個々のサブタイトルがより洗練されたドラマとなっていく。アニメキテレツはシリーズ後半になるほど秀作が多くなる。

・そして、キテレツの発明とキテレツ本人の活躍が減ってくる。レギュラーに加えて、毎回一回だけのみのゲストキャラクター(いわゆるチョイ役?)達も個性を発揮して、面白いドラマを成立させるようになる。毎回、現代都市の日常生活の様々な側面を反映するゲストキャラクター達が活躍する。

・しかしやがて、かつての題材の多彩さは目立たなくなってくる。それは題材に頼らなく

とも、個々のキャラクターの自立した活躍を生かしたドラマ作りで、観る者を楽しませられるようになったからだ。

例えば、どんな話であろうと、ブタゴリラとトンガリの掛け合い漫才?やブタゴリラ一家のドタバタによるお笑いが小気味よく挿入されている。あるいはまったく必然性なく、トンガリ母子、キテレツパパママ達が演じる「ミュージカルシーン」。普通のドラマ展開に突然挿入されて笑わせる(煙にまくという感じもするが)。

・ゲストキャラクターの方では、シリーズ終盤になると、実に多種多様な職業の「おねえさん」が毎回のように登場している。ただ華を添えるだけの役割ではない。子供達の人生には魅力的な「おねえさん」がさり気なく影響を及ぼしているものだ(みんな胸に手をあててようく思い出してみよう)。スキー場の遭難救助員、従姉、エアロビクスのインストラクター、校内検診の女性歯科医、動物タレントを扱うプロダクションの飼育係、アイドル歌手、等など。

・職業といえば、勉三さんのバイトがアニメキテレツの展開には大きな役割をする。彼の実に様々なバイトが事件あるいは事件解決のきっかけとなる(ご都合主義とも言えるが)。またアルバイト先がこれも現代都市生活の風景を映しだしている。

・そして少年少女のキャラクター達は、こうした大人達との出会い、都市生活の事件と一つ一つ向かい合うことで、少しずつ成長していく。そこに悲しみや挫折も勿論ある。しかしそんな時、少年少女達に救いの手をさしのべてくれる大人達が必ずいる。アニメキテレツでは大人は大人の役割をきちんと果たしてくれているのだ。この点私達、現実の大人もアニメキテレツを観て反省する必要があるのではないだろうか。

・まとめ

アニメキテレツが描いたものは、

現代都市生活を、そこに生きる大人と少年少女達の「生活」を描いた。

「ミステリー」「冒険」「科学」という「物語」の面白さも描いた。

少年少女達の心の成長を描いた。

番組自体も回を重ねるごとに洗練された作品を生み出した。

それらは間違いなく子供に伝えるべきものばかりだ。アニメキテレツは子供に安心してみせられる、どころの作品ではない。子供に伝えるべきことをわかりやすく確実にすべて描いた。

冒頭に述べたように、これは藤子F不二雄先生の作品世界の姿勢と同じだと筆者は思っている。アニメキテレツは原作者の原作ではなく「姿勢」をアニメ化した傑作だと思う。

 

 「『花丸五月』誕生迄-オリジナルキャラの発展-」                

アニメキテレツは多くの楽しいアニメオリジナルの脇役キャラが登場した。中には一回きりで終わらずにセミレギュラーとして活躍したオリジナルキャラもいる。アニメキテレツのオリジナルキャラクターによるセミレギュラーには三人の系譜があると思う。

最初は勉三さんの恋人、友紀。勉三さんの恋人は原作にも登場しているがわざわざキャラデザも名前も変えている。シリーズ通じて時々登場し続けるが、目立った活躍はない。最初は勉三さんとのラブコメの話もあったのだが。これは大学生の彼女を活躍させすぎるとキテレツ達が脇役に回ってしまうためだろう。

しかしさらにキャラクター中心のドラマを深めるために、今度はキテレツ達の同級生のオリキャラを登場させた、銭湯の娘、妙子だ。妙子の家は、銭湯をやめて新潟に引っ越すという設定で登場した。銭湯というノスタルジックな題材で、登場がいきなり引っ越しの話だったが、時々電話や手紙を送ってきたり、東京に遊びにきたりと後々まで顔を出す。しかもなんとブタゴリラとラブコメもどきの話を展開したりする。といってもきわめて真っ当な児童生活ドラマの枠内でだが。これは当時のラブコメドラマブームをおちょくっていたのでは?と筆者個人は思ったりすることがある(考え過ぎか?)。

三番目に登場したのが、「花丸五月」(はなまるさつき)だ。キャラクター中心のオリジナル路線も定着してスタッフも自信をつけたか、前二人とは比較にならないほど、大胆な設定になっている。

旅回りの大衆演劇一座の花形子役という他のアニメでは観られない設定と、全国を巡業しながら時々、東京近くに来るとキテレツ達の所にやってきて、抜群の運動神経を駆使してキテレツ達と一緒に冒険したり、事件を解決したりする。いつ登場するか分からないので日常のドラマに意外性、新鮮さをもたらしていた。内容的にも大活躍といってよい。

・花丸五月とは?

この少女五月は、大衆演劇一座という普段は大人ばかりの世界で暮らしている。そのためキテレツ達より一寸大人びたところがあり、それがドラマにも深みを与える。彼女はキテレツ達と行動する時だけ、同世代の子供達と同じに戻れるのだ。さて藤子ファンとまでいかなくても、藤子不二雄のマンガを観たことのある年長者なら誰かを思い出さないだろうか?「パーマン」の少女スター星野スミレだ。

藤子不二雄が生み出した少女スター星野スミレは1980年代、「ドラえもん」ブームを受けて「パーマン」が再登場した時、アイドルの裏と表、芸能人の虚飾の仮面、あるいは人間の二面性といった点から再評価された。しかし90年代以降そういったアイドルの仕組みはすっかり一般にも知れ渡り、一億総タレント化もすっかり定着した。普通っぽさが芸能人の売りの一つにもなった。

そんな時代に合わせてアニメキテレツのスタッフは「星野スミレ」をアレンジしたのではないか。

花丸五月には星野スミレのように「仮面」を被って隠す「秘密」はない。大人と子供の世界を自由に行き来する。スミレは「パー子」になる時本当の自分に戻ったようで生き生きとする。これに対し五月は、キテレツ達と過ごすことで、まだ子供であることの楽しさ、喜びを味わえる。

五月が仮面を被っていないことは、キテレツ達にとって重要な意味をもつ。キテレツ達「子供の世界」に暮らす少年少女は五月を通して「大人の世界」とそこに生きる少女を知ることで、少しずつ成長することができる。

藤子不二雄の「星野スミレ」はアニメキテレツによって「花丸五月」として脚色され、現代の児童ドラマのなかに新しい意味を持って再生した。

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