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2011年12月23日 (金)

韓国純情漫画感想:「らぶきょん(宮=궁)」26巻(新書館)。日本の少女マンガにはない「歴史」と「アイ」の相克

日本の少女マンガの文脈で読めば、いまの展開はすでにグダグダに入っているように見える。それを弁解するには、韓流ドラマを例に例えるのが簡単だ。実にまあ繰り返し。韓流ドラマはそれでウケているのだから、このマンガのパターンが文句を言われる筋合いはない。
しかし既に韓国の連載誌で原作の最終回まで読了済みの私は、作者(박소희)の意図は、そんなウケ狙いではないと確信している。
ユルは、チェギョンをあきらめ、親子共々、父の意思(と少なくともこの母子は確信している)王室の権益拡大という将来の為に、政治に目標を定め、財閥のミル嬢(ストーリーの表面上はギャグメーカーだが)と組んで国外へ、母はいつかその日の為に、忍従を。
だが、これは日本の(マンガに限らない)現代の物語においては、明らかに納得いかない筈だ。何故、親や故人の意思に縛られなければならないのか?
シンとチェギョンの関係も同じだ、ようやく勝ち得た愛をまたしても手放そうとしている。二人は歴史、伝統文化、血筋、そういった諸々に縛られている。
その理由は何か。作者は、読者の望むマンガとしての展開を犠牲にしても、自分のマンガの独自性を選択したからだ。シン、チェギョン、ユル等彼らを束縛するものは、おそらく作者パク・ソヒ(박소희)と彼女の同世代の韓国女性も未だに背負いこんでいるのだ。政治の時代、経済成長の時代を経て、歴史と伝統文化の再考と現代人のアイデンティティの相克に悩む現代。日本の少女マンガが後者を選択してきた(あるいは後者が前者を包み込んだ)のに対し、박소희は、どちらも選択し切れない苦悩そのものをマンガに表現しているのだ。迷いを描くことそのものが韓国の純情漫画家박소희の独自性なのだ。

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