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2013年5月11日 (土)

第二十六回オウム対策学習会・デモに行ってきた

今回の講師は、塚田穂高氏。大学の若手宗教社会学者として、カルト宗教に若い人が勧誘されるのを防ぐために、どのような研究活動を行っているか、の実地報告で、宗教社会学がいかなるものか、興味深かった。
私の理解した所では、「精神論」ではなく「技術論」だということだ。従来の識者、ジャーナリズムが「精神論」で考えていたのに対し、古今東西、共通の情報操作、扇動の技術として、文字通り「神格化しない」で、勧誘のテクニックと、起こした事件の結果そして、その後現在に至るまでの「経過=情報」をネットワーク機器を駆使して若い人々に「伝達」する、ひいてはネットワークが情報を「共有」する、ということだ。それらの諸活動によって、若い学生達も関心を持ちかつ勧誘・入会を防止できる。
私は最近常々、「1995年は私の精神形成における重要な」云々、てな識者の文章に疑問を感じていたので、極めて納得がいった。ああいう精神論ってつまることろ、相手(=カルト宗教)を過大評価視してるんであって、「TPPは日本をはめようとするアメリカの謀略だ」と言っているようなもの、ひいてはそれを感じている自分の精神に対するナルシズムだ。
「だったらお前は何故オウムがあそこまで出来たのか分かるのか」と言われれば、ヒットラーも近現代カルト宗教も当時のメディア技術をフル活用した宣伝・扇動のテクニックとして眺めれば、事件の現れ方、規模が違うのは誤差範囲だ、とさえいえる。
しかし、もう二十六回か。デモ中この付近住民の反応を見ると、毎回、無知・無関心、忘却との闘いの様相が濃くなってくると感じていたが、今回の講義で、改めて飽かずに情報を発信し続けなければならない、そう思うと、気分が軽くなった。これまでだと情報発信は「説得力」が必要と無意識に肩に力が入っていたが、事実に語らせればよいのだ。それでも森達也なら「その事実もメディア技術を駆使すればいくらでも印象操作できる」と混ぜっ返すだろうが、もうマスコミの時代ではない個人でも情報を伝えられる、それでも森達也なら「インターネットには、個人で発信するニセ情報が氾濫している。それを100%区別できるのか」というだろうが、今の森達也は「客観」の獲得を諦めて「主観」の伝達にのみ注力するようになってしまった、くらいは見分けられるようになったつもりだ。カルトが飽きずに情報操作を続けるなら、こちらも事実の情報送受信を「マスコミに頼らずに」続ければいいのだ。要は最初からあきらめないことだ。

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