カテゴリー「SF」の記事

2014年3月29日 (土)

ドラマ感想:なぞの転校生 12話

遅れてきた仲間が、やってきてすんでのところで姫は助かると同時に分かれの時、ここで高野浩幸さんの出番がうれしい。なかせるセリフだ。全篇ひたすら切なく、原作の眉村SFの理路整然さとはこれまた対照的な演出だった。また今回も繰り返される「この世界は美しい」これも今時の作品だねえ、としみじみ思う。

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2014年3月22日 (土)

ドラマ感想:なぞの転校生 11話

黄昏の王国、落日の王国というやつか。もう統べる民もいない。哀しい話だ。滅びを間近に見た時、初めて気付く、「世界は美しい」ということに。それらを全部、アパートの一室で済ましちゃったか。そう言うところが、少年SFドラマだねえ。モノリスの全貌も、プロメテウスの火を投げ込んだ敵の正体というものを曖昧なあままで幕を閉じるというところが、現代的演出というところか。

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2014年3月15日 (土)

ドラマ感想:なぞの転校生 10話

うーん、SF的セリフとアイディアだけで見せるスケールの安上がりな作りまで往年の少年ドラマシリーズを踏襲している(笑)。どうやらD-8世界は、「2001年宇宙の旅」以降の地球の未来らしい。そして身分制、格差社会、核戦争、環境汚染、官僚主義、差別といった負の遺産を全て背負ってパラレルワールドの地球にやってきた。完全に、視点も社会派SFの眉村原作まで反転させた演出だな。

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2014年3月 8日 (土)

ドラマ感想:なぞの転校生 9話

すっかりアスカの下僕扱いの浩一には笑ったが、敵の行動がより明らかになって緊迫感も増してきた。敵はクーデターを起こした政府で、追われている王族という設定なのかな。社会派SFの眉村卓の原作とは対照的、時代は変わったねえ。ただのヒューマノイドより上位者である基準とは、やはり遺伝子改良人種なのかな。放射能汚染でただのヒューマノイドは子孫を残せないということかな。「ここの雨はきれい」台詞の原作との対照が象徴的だ。原作では山沢が雨の放射能含有の可能性に怯えていた。深読みするなら、雨のきれいなこの世界は、やはり、この地球のある世界ではない、D-8世界がこの地球の未来、という伏線だと当たらない予想をしておこう。

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2014年3月 1日 (土)

ドラマ感想:テレビ東京「なぞの転校生 8話」

最初はどうかな、っと思っていたが前回から俄然緊張感が増してきた。オペを機械や人がするのではなく、技術をソフトウェアとしてインストールする、とか秘かに政府が遺伝子改良をしている世界がムニャムニャとか、小出しにしているSF設定が垣間見える、まあセリフだけだから安上がりだけど。大きな話では「敵」の存在が追われているだけでなく、すでに来ている「敵」もいるようだ・・・と色々特撮ではなくほとんどセリフで説明するだけで緊張感を出している所はなかなかに昔の少年SFドラマしている気がしなくもない(笑)。
しかしお姫様アスカのキャラが学校と宏一の家の中で全然変わるのには笑えたが、彼女も色々プレッシャーがかかっていたのね。もうあの娘しか遺伝子を残せない、しかもモノリスの補充がなければ風前の灯、つまるところ真の日本の未来?はアスカと宏一にかかっているのか?。また高野浩幸さんが出演されているのはうれしい。

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2014年2月22日 (土)

ドラマ感想:テレビ東京「なぞの転校生 7話」

私は完全にNHK少年ドラマの「なぞ転」世代で、広一のお父さん役で高野浩幸さん登場意外、最初の内はかったるかったが、「ショパンの存在しない世界」から眠気が覚める程緊張感が増してきた(笑)。続いて異次元からきた人々が「枕草子」を吟じて、これは「こちら」が異世界で、異世界から来たと思っていた人々が地球のなれの果て、核戦争後の放射線障害に冒された未来からきたのか?と唖然とさせた上に、やはり今の話だなと思ったのは、階級制だか身分制社会だかを引きずって現れたこと。昔の社会派SFならそういうのは先ず打倒!だったしな。ましてや眉村卓ジュブナイルSFなら。しかし、今日的に見れば、そういう身分という制度は精神的に存続し、社会正義より純粋な恋愛を信奉する物語がリアリティを増したということだな。

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2012年1月 7日 (土)

本感想:オレンジ党 最後の歌 天沢退二郎 作。林マリ 画。

関連記事はここ。遂に、ハマる奴はロングセラー的にハマる(笑)天沢退二郎のファンタジーの新作が、それもオレンジ党の新作が、しかも復刊ドットコムから著された。復刊ドットコムの壮挙だね。復刊ドットコムから直接購入すると特典として本文中の詩の未定稿コピーが挿み込まれてきた。
前書きと後書きを読むと刊行自体が遅れたのは個人的な事情だったようだが、2011年3月11日を契機に加筆修正したのも間違いないのは読めば分かる。
物語世界に表面上は、パソコン以降インターネット、ケータイは別世界のことだ(存在しない訳ではなく風刺はされている)。コンビニも(コンビニ文化自体と言うべきか)存在しない。
しかしシュールで土俗的いや、いっそ泥臭い物語は豊穣でむしろリアルさを感じさせるのも相変わらずだ。政治や社会の寓意も随所に現れている。
それでもなお、物語の語りを超えて作者は読者に呼び掛けずにはいられなかったようだ。圧倒的な現実の前に、言葉を失わず、言葉の力を信じ、創造力とその結晶である物語の力を忘れるな、と。
しかし私には前作(と思うが)「ねぎ坊主畑の妖精たち」(筑摩書房)がなんとも閉塞的、陰鬱な雰囲気に満ちていたので、オレンジ党の冒険はむしろ痛快だ、例えその行く手がトンネルの連続であろうとも。

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2011年9月24日 (土)

アニメ映画感想:「マルドゥック・スクランブル 燃焼」

テアトル新宿にて、24日から5:30の回が追加、これを待ちかねていたように、配偶者と行ったのだが意外に、空いていた。そうか、今回のくだりは、アクションでは少なく、カジノでのギャンブル場面がメインだから、全体として地味だったっけ。
原作は、バロットは、カジノで老女性スピナー(ルーレット回す人)との勝負を通じて人生を学ぶ、という場面で、小説なら両者の勝負と対話の叙述でけっこう読ますのだが(にしても、SF小説としてはかなり異色な話だった)それを映像ではどう演出するのか、興味津々だったが、意外と正攻法であった。勿論、繊細な映像とテーブル上のゲームの変化に富んだ動きで飽きさせないが、やはりこの場面を生かしたのは、バロット=林原めぐみとスピナー、ベル・ウィング=藤田淑子、の両演技派の丁々発止の遣り取りが緊張感充分。特に藤田淑子のベル・ウィングが人生の重みを伝えるのはさすが、素晴らしい。
今回も、「有用性」という名目を見出す行動を通して人間存在のアイデンティティの意味を問うテーマは、「楽園」の中でのみ生きる青年とイルカの異形ペアを描くことでさらに、追及されているが、この点は描き方としては、今日的にはもう、SFとしては定石的な描き方かもしれない。この十年位でもSFのビジョンは格段に深化、拡散したということか。

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2011年8月 6日 (土)

本感想:新井素子「グリーンレクイエム」

学生時代に読んだからもう二十年以上前、当時の新井素子の代表作の一つ。何故か唐突に今、ふっと(笑)思い出したのだが、読んだ当初から「これは違う!」と不満があった。クライマックスのところで主人公の青年が女主人公の少女の秘密を聴かされて動揺した(あるいはヒロインにはそう見えた)姿にショックを受けたヒロインは自ら命を断つ。
ここで当時の私は、ここで青年は見得を切る所だ(笑)と「確信」したのだ。つまり「それがどうした、彼女を殺して生存する世界に何の意味がある?そんな世界は滅んでしまえ!。むしろ俺が彼女の血肉になれるなら本望だ!」と。
で、ここで今になって気がついたのだが、これって後の世で言うところの(またしても笑)「セカイ系」って奴じゃなかったか?と。当時どこかに書いておけば、後世(しつこく笑)にセカイ系の萌芽として引用されていたかもな?(失笑)
とここまで考えたら、つくづく評論家や批評家になれないな、機を見るにこうも鈍感じゃ、と結論として改めて思った。

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2011年7月28日 (木)

小松左京氏、死去

地には平和を、人には愛を。

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