吉田とし という児童・青春小説家がいた その20
「むくちのムウ」吉田とし 作。鈴木義治 絵。あかね書房 あかね新作児童文学選・5。私の持っている版の奥付は1975年の第5刷となっている。
前書きに「友だちってなんだろう、ぼくはひとりでかんがえていた・・・」とある。
5月のある日突然、六美くんという少年がものを言わなくなった。そんな彼を巡って先生、同級生の一人一人の反応、対応は・・・。
これは、今で言うなら実験的手法というべきか。ものを言わなくなった少年が問題、ではなくて、彼はむしろ狂言廻しの役割で、主題は彼を巡る周囲の人々の当惑や対応にある。かつての小学校の先生は、この作品を読ませて、児童達がどう対応するか考えさせる、という副教材のように用いたこともあるらしい。
六美くんことムウくんをやさしく気遣う少女。からかう少年。彼の態度を一切気にせずに普通に接するおじいさん。当惑して独り涙する先生。やがて怒りだす子供達も。そしていらだった子供達が集団で襲いかかり気を失ってしまったムウくんは、気がつくと先生に「みんな、きばがあったよ先生。あの顔、友だちの顔じゃなかった」そして、ムウくんは、家の都合で突然インドへ行ってしまった。先生に作文を残して。その作文は、<<むくちのムウ>>・・・そして本書の本文の冒頭が書かれていて・・・という循環構造だか円環構造とかいうやつ(文学用語は分からんが)になっている。
異常な事態に当惑する周囲の動きの描写がシンプルながら今読んでも実にリアルに感じられる。やはりこれは、突然の非日常的な事態が現実(リアル)に生じた時にこそ友達とは何なのか、友達として対応するとはどういう事なのか、どう対応するべきなのか、と色々考えさせるテキストとして書かれたのだろうと、私は追認するしかない。
そして2015年の今も、様々な事件を通じて、当事者と周囲の自他の関係の在り方は問われ続けているではないか。そういう意味で本書のテーマ?は今もリアルで重いのではないだろうか。
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コメント
こんにちは。
何をググっていたか忘れたのですが、偶然か必然か、ここに迷い込みました。
初めまして。
私は京都に住む70歳。今、古い手紙集の箱から取り出してみましたら、吉田とし先生からの手紙はざっと60通、古い物では昭和40年4月の消印です。葉書が5円の時代。私は15歳ということになります。
確か「少女フレンド」の連載小説の読後感をせっせと書き送っていた頃、何と古いです。先生のご住所は
“渋谷区代々木3の5“ 郵便番号のケもありません。
先生はよくお返事くださいました。お忙しかったでしょうに。
それ以来、手紙のやり取りは続きました。
最後の葉書は、平成7年8月ご主人様の吉田邦夫氏からのもの。
とし先生が天国にいらっしゃった時のは、あまりに大事にしすぎて、何処かに紛れ込んでいますし、
ご主人様がお亡くなりになったお知らせを、ご友人の代表の方から頂きましたが、それも紛れてここには見当たりません。
この間は私の人生も激動期。引っ越しも度々、卒業、就職、結婚、出産、また引っ越し…
その度にとし先生に書き送りました。
私は出版社(PHP研究所)に就職致しましたので、
とし先生に小文や、児童書の執筆をお願いしたこともありました。
中学時代からずっと、とし先生に教えを受けた通りに生きて来ました。
「あした真奈は」「ゆれる砂漠」「青いノオト」…この少女たちは今も私の中に生き続けています。
私の息子や娘はよく読んでいましたが、五人の孫たちは、さあどうでしょうか。
ゲームとYouTubeばかりです。時代を感じます。
長くなりました ご容赦ください。
今日はとても懐かしく嬉しい日になりました。
感謝を込めて…。
投稿: 川越京子 | 2021年1月24日 (日) 17時14分
川越京子様
こちらこそ、嬉しいコメントをありがとうございました。
まだまだ感想文を書いていない、女史の作品は
残っているのですが、手をこまねいているうちに
はや5年以上。
そこにこのように女史へのリアルタイムの
みずみずしい回想と熱い想い、貴重なエピソード
を私如きにいただくとは、
早く感想記事を再開しろという、天からの(笑)
催促でしょうか?。
川越様もご自愛ください。と同時に私の
女史の作品への感想記事の再開を気長にお待ちください。
ありがとうございました。
投稿: 小笠原功雄 | 2021年1月24日 (日) 19時18分