カテゴリー「濱野京子」の記事

2024年9月 1日 (日)

本感想: #girls(ガールズ) #濱野京子 作 #牛久保雅美 絵 #くもん出版

Girls 『いつ、だれと出会うかは偶然のたまものだ。』プロローグのフレーズに、出会いのもたらす幸も不幸も脳裡に呼び起こされる。そこに必然はない。功罪もない。それが生きていくということだ、だが人は、出会いの偶然を必然に、意義あるものに、きっと輝かせられる。多感な年頃の少女達に作者、濱野京子からのメッセージを感じる。母と娘二人暮らしという十五歳の少女三人の友達の物語が、各々の一人称語りで、文字通り、くるくると視点を入れ替えて語られる。その母子関係も三人三様だ。一筋縄ではいかない。だが個々のエピソードは日常的で特別なことではない筈だ。しかし、少女達はそこに小さな違和感を見出していく。それは見過ごしがちな女性の生き辛さだ。だが友達と母と共に、そんな辛さもきっと乗り越えていける、そんな現実と願いが続いていく。
※母と娘の二人暮らしという、設定に、私達夫婦共に人生最大の影響を受けた漫画家、藤子不二雄の藤本弘、安孫子素雄両先生が母親だけの家庭だったという事実を想起した。

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2024年3月11日 (月)

本感想: #となりのきみのクライシス #濱野京子 作 #トミイマサコ 絵 #さ・え・ら書房

Photo_20240311202001「となりのきみのクライシス」濱野京子:作。トミイマサコ:絵。さ・え・ら書房。本書の主題である子供の権利、を考えると私が先ず想起するのは、日頃の持論「昭和に我々が捨てた、あるいは捨てたと思い込んでいた権威が平成・令和を通じて復活してしまったのではないか」「現代社会は若い母親に精神的にも肉体的にも負担をかけることばかりやっている」だ。
それは不況が長引き「貧すれば鈍す」余裕を失った男達が自信を喪失し、縋りついたのが古い「権威」なのではないか。権威をかざす先、権威の行き着く先は弱者=女性と子供ではないのか。
さして長くもない物語、大きな活字の本、何ら読みにくいところない文体でありながら、いつものことながら濱野京子の世界は、一気には読めない、途中で本を伏せ「今」をあるいは「かつての自分」を振り返らざるを得ない。
物語は小学六年生の子供達が次から次へと危険に見舞われる、だが展開は大げさでも不自然でもない、その一人一人の件が、目を背けてはならない、今この時も日常に潜む現実の不安、不穏、危機だ。

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2023年12月23日 (土)

本感想: #はじまりは一冊の本! #濱野京子 作 #森川泉 絵 #あかね書房

Photo_20231223115701 あかね書房の、濱野京子:作、森川泉:絵、から成る一連の本は、これでもう五冊目らしい。いずれも「本」を主題とした物語だったが、さらに今回は過去作「わたしたちの物語のつづき」の続きの話となっている。同作が「創作」を巡る話だったのに対し、今回は「本」そのものの仕組みの物語だ。
作者にしては珍しく、小説ではなく、図鑑読みが好きな主人公。ネットではなく本で「調べる」行為から、小学校の図書室にかつての小学生が自分で作った創作の「本」の存在を知り(※これが前作の中の「本」)、「本そのものを自主制作」する課程に興味を覚え、その本を作った人々に「直に」会い、本を作るのは独りではできない行為であることを意識する。
そして「本」にとどまらず、主人公とその友達、家族さえも、一人ではできないことを他者と協力、嗜好の異なる他者とは共感が必要であることを認識し始めるのだ。
作者らしく、インターネットで検索する行為に対する皮肉も見せながら、「一冊の本」から始まる探求心が、生身の人間同士の「ネットワーク」を紡ぎだしていく姿を気持ちよく描いていく。
※私自身、久しく忘れていた、子供の頃、図鑑で様々な「仕組み」を知ることにワクワクしていた感覚を思い出すことができた。

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2023年8月18日 (金)

本感想: #金曜日のあたしたち #濱野京子 作 #あわい 装画  静山社

Photo_20230818190401例によって私にとっては「共感の作家」濱野京子の2023年上半期の最新刊。いつも濱野京子の小説を読み出すと自分に照らし合わせて考えだし、頁を繰る手を止めてしまうが、本作では特にその時間が多かった気がする。それもその筈「環境保護活動」がテーマ、まさに自分の一番痛い所を衝いてきた。共感のみならず、ダイレクトにストレートに賛否両論、胸に打ち込んでくる思いだ。
さらに物語は、主人公陽葵(ひなた)が出会う水沢の描写が始まると、これは「グレタ・トゥーンベリー」さんに触発されたドラマだな、と見当をつけた。そして、半分まで読み進むと案の定、グレタさんに言及し始めた。
 さて、内容についての共感ポイントを羅列していくと、私はグレタさんのあの怒りの表情が眩しい。
私は左利きなので、登場する陽葵の新しい友達の、その不満、不便はよく分かる。だが、私の左利き体験ならもっと面白いエピソードができる(←上から目線)。※例えば、以前ミステリ作家、森博嗣の作品の中の左利き描写を読んだことがある。左利きでのパソコン操作だったが、これも私自身の方がもっと面白い、私は左手でキーボードを操作しつつ、右手でマウスを操作するのだ。
なぜ、切迫した地球温暖化の事態に人々は行動しようとしないのか、これは私の考えでは、本作とは一寸異なる。一口で言うと人間の寿命はあまりに短いから。刹那的なとすらいえる。
国内の自然災害についても私の意見はやはり本作とは異なる。地方自治体の財政はすっかり疲弊させられ、公共地域の補修工事を賄えない。整備不良な土地が自然の猛威にさらされ、あっけなく崩壊しているのだ。つまり天災ではなく人災だ。
私は、二十余年ガラス瓶製造業界にいたので、その間自分ではペットボトルをほとんど買っていない(本当の話)。親戚にはガラス瓶利用を呼びかけ、家族がペットボトルを買ってくると「また私を失業させる気か」と叱りつけた。※しかし、私がリタイアする数年前から顧客企業の要請でペットボトルの生産を始めた。今頃はその比重がもっと増えているだろう。
私は不幸続きで独りになってからは冷蔵庫の電源を抜いたまま。つまり利用していない。
私は、地盤の不安定な日本列島では原発の維持はもはや不可能、原子力そのものは否定しないが、国内ではエネルギー資源自給は不可能。費用が掛かっても輸入しかない。COPの日本批判は存じているが、原子力利用を促進してくるのは、どうも納得できない。
 以上のように一節ごとに作中と議論している気分だった。長編としては短めでシンプルな作品だが思いは尽きない。
※表紙カバーを外すと本体の表紙に裏表とも登場人物の絵が勢ぞろいしている。

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2023年7月21日 (金)

本感想: #シタマチ・レイクサイド・ロード #濱野京子 作 #菅澤真衣子 装画・挿絵 #ポプラ社

Photo_20230720210301濱野京子は、著作数50冊が見えてきたかあるいは既に越えたか、今ここで創作の原点を問い直そうとしたのかもしれない。いつも感じることだが私にとって濱野京子は共感の作家。本書では先ず舞台が、自分なら、と置き換えて考え始める。上野公園なら私は各博物館だし、根津の辺りなら、本郷三丁目から東大構内を通って弥生門から出て「弥生美術館」に行って帰りは言問通りの弥生坂を下って根津駅へというのが定番だ。さらに主人公の行く先々を、私は神保町のそこかしこに置き換えて想起し始める。
あるいは、夏の高校野球について私は、ナイター制とシェスタを導入、かつ予選本選問わず生中継をやめろ高野連、と毎年発信しているし、在日朝鮮・韓国人の若者「イゴ、ジュセヨ」の言葉から、意識は過去へ飛んで、己の若さ、幼さの無知故の残酷さを思い出して胸が痛む。この国の道路は自転車に優しくない(乗る者にとっても歩行者にとっても)から乗るのをやめて久しい。高尾山は、遠足の定番でもあるし、私も気が向くとぶらっと行くんだけど、植生の豊かさは世界的水準でも桁違い、本格的なハイカーは陣馬ー高尾山系と言って、陣馬山から登って高尾山に昼頃達するんだけど、ミシュランが三ツ星観光地に指定してから高尾山に客が増えちゃって、ハイカー達にはすこぶる不評。私は、自然に触れるって行為は、自然環境悪化につながると思っているし、むしろ都心を彷徨い歩く、迷い道するのが好き。
だが何よりもメインテーマ、主人公は高校の文芸部所属で読書好きだが創作の経験がない、彼女の創作に対する葛藤が全編を覆う。私も創作の実績がないが、私のレビューは、対象メディアを本に限らず、書いたものも喋るのも、知人達によると面白そうに読める、聞こえると言われる。翻訳は、私は語学力以前に原文に対するリスペクトがないことを自覚した時にあきらめた。「創作への意志」という言葉が痛切に響いてくる。
最後の私の妄想を一席。朔は希和子にとって創作の業そのものではなかったのか。

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2022年10月28日 (金)

本感想: #空と大地の出会う夏 #濱野京子 作 #しらこ 絵 #くもん出版

Photo_20221028000801濱野京子が新境地を開いたのかもしれない。濱野の小説は直球勝負、読み始めればテーマは直ぐに分かり、展開はテーマに収束し、共感するものだったが、本書は、主人公の児童とその親は合理主義、というのは珍しいかもしれないが、一方で理不尽、非合理な校則とそれに抵抗する児童、空気読まない児童、マイペースな不登校児、血縁のない家族、今時の中学受験児童、星を見るのが好き、本好きの児童、懐かしい所では主人公に影響を及ぼす叔母さんetc.と現代社会を映す登場人物が次々と現れなかなか収束しない。クライマックスに至り、人生早い時期に寄り道回り道の重要性がテーマだったかとも思えるが、むしろ拡散、今風に言えば多様性の物語だったかとも思えた。
※私的には五十を過ぎて振り返って、勉強は必要だが、幼児から高校までの学校生活体験は不要だったな、同様な体験は他所でもできた、とつくづく思う。

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2022年10月 5日 (水)

本感想: #マスクと黒板 #濱野京子 作 #早川世詩男 装画 #大岡喜直 装幀 #講談社 #コロナ禍 #マスク #手洗い消毒 #ソーシャルディスタンス

Photo_20221005185801コロナ禍で突如、学校の休校が決定された年。中学校内の生徒達を中心に、教師、保護者ら、社会的背景の当惑、混乱の記録を端的に記述し、その象徴としての「マスク」とその中に人間らしい交流の再生の物語を描こうとして選ばれた「黒板」がタイトルとして組み合わされたと思われた。
※元々他人との交流、対話を好まないから、不織布マスクも苦にならない主人公というのは、私も似ているが、私の方は美術のように表現することは全くダメ。そしてチョークと黒板というものは「嫌な音」とまではいかないが苦手であれを使う時はどうも筆圧が入らない。
 たった二年前のことでも過ぎてしまえば忘却は意外に早い。そこをこうして個々の立場から記録、記述しておくことは極めて重要だ。さらに創作を焦点を絞って導入し、世界を再生していく展開がこの作者らしく手際よくテンポよく広がっていく。さらに、さらに、主人公には再生ではなく新しい世界に新生の萌芽を感じさせるのが爽やかだ。
※この作者らしい、と言えば、伏線と謎解きというミステリの手法も用いられて読者に読ませる、という持ち味も抜かりない。

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2022年10月 3日 (月)

本感想: #シオンの花言葉 #濱野京子 作 #ゆめ 絵 #講談社 #もう一度平等な日本を取り戻そう #目指せ一億総被介護社会 #在日外国人参政権実現

Photo_20221003202401 「おはなしSDGs」と銘打たれた叢書全18巻の第17巻。各巻にテーマが付されていて本書は「パートナーシップで目標を達成しよう」。短編と言ってもいい本文だが、テーマに沿った学習解説、グラフ・図表が収録されている。具体的には、最早悪名高い、私としては即刻廃止すべきと考えている技能実習生問題だ。本編では外国人就労者の苦悩と、少女のささやかな交流を描いた。
※私の持論は、今の日本では生産性、生産力を上げるには、在日外国人就労者に低賃金、単純労働をあてにしているようでは先はない。日本人が老いたこの国では、かねてからの政治参加無関心も合わせて、日本人は全て被介護者であることを想定し、高度技術労働のみならず福利厚生、行政も在日外国人に委託しなければやっていけない。

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2021年5月23日 (日)

本感想: #野原できみとピクニック #濱野京子 作 #丸紅茜 装画・カット #河村杏奈 装丁 偕成社  #もう一度平等な日本を取り戻そう #目指せ一億総被介護社会

Photo_20210523204301裕福な少年と生活苦に追われる少女。高校生の恋。という設定だけ聞くと昭和世代は先ず最初の一瞬いつの話だと思い、次の瞬間そうか平成不況を経て日本は今この設定が成り立つ社会に戻って?しまったのだと痛感する。
 だが、さすがに作者濱野京子はそんな諦めと無視で安定しているという自己欺瞞で目を伏せて生きる、鬱屈した「格差社会」では済まさない。二人のささやかで爽やかな心と行動は、周囲の人々を動かし波紋はみるみるうちに広がり波風を起こし、計画は練られ、直面した試練も、即興的な変更で軽々と乗り越える展開は、痛快で喝采を叫びたくなる、というのは私の本音だ。革命こそ起きないが、人々は顔を上げお互いを見つめ合い、心の分断をつなぎ、溝を埋め、壁に穴を開け始めたのだ。
 表紙絵も物語の舞台をトリッキイに描いて面白い。

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本感想: #葉っぱにのって #濱野京子 作 #しろさめ 絵 金の星社

Photo_20210523201801孤独な妖精と一人ぽっちの女の子のすれ違い。でも孤独な妖精は孤独ではなくなり、女の子も妖精たちが自分を見ていてくれることを知る。読み手には、きっと誰かがあなたを見守ってくれている、という励ましのメッセージとなる。

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