カテゴリー「アニメ・コミック」の記事

2024年10月 5日 (土)

ゴールデンカムイは、アイヌの「冬ソナ」だ。#金カム #韓国 #冬のソナタ #韓流 #ヨン様

こんなことあまり言う人いないみたいだから、私が書いておくけど、二千年代、日本に一大韓流ドラマブーム、ペ・ヨンジュン「ヨン様」を生み出した「冬のソナタ」というメロドラマ。それ以前の韓国・朝鮮語関係者学習者、在日韓国朝鮮人がどう思おうと、彼らの長年の努力を一瞬で凌駕する日韓ポップカルチャーの相互交流を促した。ハッキリ言って、彼らの中には内心忸怩たるものがあった人もいた筈だ。
という訳で、私には漫画「ゴールデンカムイ」がもたらしたものも同様に見えるのだ。「アイヌ」の描き方には不満を漏らすアイヌも少なくない。それでも「アイヌ」という日本の先住少数民族の存在の再認識が一気に爆発的に広まったことを否定できる人はいないだろう。

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2023年7月29日 (土)

アニメ感想:#ヴィナス戦記 特装限定版 BL #安彦良和

Photo_20230729170901BLで買っといたのを、今頃になってやっと観たから、私自身は三十四年振りということか。思い出としては、私は新宿の今は無きミラノ座で観た。あのデカい劇場がガラ空きだった。安彦良和らしいあくの強い、泥臭い原作漫画を、笹本祐一の脚本、横山宏、神村幸子らのデザインで洗練された作品に仕上がっている。

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2021年6月 4日 (金)

アニメ映画感想「#トゥルーノース」#清水ハン栄治 監督。 #日本 ・ #インドネシア 合作。 #赤とんぼ #北朝鮮帰還事業 #日本人拉致被害者

皮肉なもので、昨今は、日本以外の劇場用長編アニメーションを観る機会が増えた。というわけで今は東宝シネマズ傘下、日比谷シャンテで観た本作は、在日四世の清水ハン栄治監督が、インドネシアに腰を据えて制作した日本=インドネシア合作映画。
 冒頭『政治の話はしませんよ』『私の家族の物語です』という台詞で始まるが、そうは言っても、膨大な取材に裏打ちされたであろう物語は、痛い∞(無限大)、キツイ∞。理由もよく分からないまま(先に行方不明となった父親の活動が原因と思われるが)、北朝鮮の「管理所」(いわゆる強制収容所)に収容され、過酷な強制労働に就かされた家族の悪夢のような日々が描かれる。全てを奪われた人々に残っているのは将来への「希望」だけ。日々人間性を蝕まれるような凄絶な絶望体験の中でも、ユーモア、友情、笑顔、夢という人間らしさを失うまいとあがき、もがき、知恵を絞る。
 かつての北朝鮮帰還事業で北朝鮮へやってきた日本人家族、日本人拉致被害者も描かれ、決して日本人の他人事ではない。その象徴として「選ばれた」のが日本の童謡「赤とんぼ」。

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2020年12月25日 (金)

アニメ映画感想「フナン(扶南)#funan」 (20201225) #ポル・ポト #クメール・ルージュ

恵比寿ガーデンシネマで、上映2回目で鑑賞してきた。いやあきつい、痛い。そして思いだされる。私がガキ、小中学生の頃のリアルタイムの原始共産制政治の悪夢とそれを象徴する、毛沢東主義、ポル・ポト(※本編中ではこの名は一切出てこなかった、繰り返し「オンカー(ポルポトの行政組織名)」のみ)、クメール・ルージュ、と言ったワードが思い出された。但し、他の近現代史と異なるのは、当時のニュースでも断片的な情報と資料写真だけでリアルな映像が出てこないのがもどかしかった。ただ『ポル・ポトという独裁者は、文字の読める人を片っ端から殺した』という話のみ。そのポル・ポトも資料写真のみで、最後は病死したというニュースだけ。しかもクメール・ルージュはなかなか裁かれない。虐殺の証拠も頭蓋骨の山の写真だけしか伝わってこない。
つまりリアルタイムでは遂にまともに伝わってこなかったあの時代のカンボジアの内側の世界が(実写映画はあったが)アニメーションで再現された。美しくてもリアルで痛ましい、伝えたいことをドラマに凝縮するアニメーションならではの技術が親子の離散と受難、再会、逃避に絞り込んで発揮された。

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2018年11月 4日 (日)

アニメ感想: #宇宙戦艦ヤマト2202愛の戦士たち #yamato2202 #第六章回生篇

本日、配偶者と新宿ピカデリーで観てきた。毎度最初に思うことは、原作クレジットに「松本零士」「豊田有恒」両氏の名前がないのは寂しい。色々あったことはリアルタイムのニュースと後のノンフィクションで知っているが、西崎義展が亡くなって随分経つし、そこを何とかしてもらえないだろうか。
内容は、ドラマもビジュアルも何より声優の演技陣は、主役から脇役まで最高水準。前は加藤に持ち掛けられた悪魔の取引に、この齢になると胸が痛くなるほど共感して涙をそそられたが、今回も次から次へと繰り出されるアイディアのアクロバットの数々に飽きさせない。「試される愛」「時間断層工場に始まる戦争風刺の痛切さ」「G計画のおぞましさと女性キャラの必然性」「サーベラーとガトランティスの究極的な関係の設定」「シンギュラリティに対する人間的な回答」「波動レンズという飛び切り超絶的なSFアイディアのアクション」「今度は斉藤の背負った業の発覚」etc.
エンディングクレジットに「石塚運昇」さんへの謝意があってジーンときた。

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2018年5月19日 (土)

漫画家は昭和の #記号表現 を本気で見直す時ではないか

性や暴力の問題よりも「貧乏」の記号表現を考えてみよう。未だにボロ服で貧乏をイメージしている人ははっきり言って多いと思うが、実際には、耐久性、デザインや品質の向上、低廉化で「服装で」貧乏は見えにくくなっている。公園のホームレスがダウンジャケットを着ているからといって、私は持ってないとクレームつけるか。身の回りの品についても(日用、専用を問わず)ちょっと前にもテレビの報道番組で話題になったように、あれを持ってる、これを持ってるから貧乏じゃないとかは、もうそういう時代じゃあないだろう。仕事に車を欠かせない人は増え、防犯性が向上した共同住宅は密閉性が高まり、クーラーの換気の有無は死活問題だ。繰り返すが昭和の貧乏表現を平成は食い尽くしてきた。偏見を打破する風刺の為にも、新しい記号表現に取り組むべきではないか。

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2018年1月28日 (日)

アニメ感想: #宇宙戦艦ヤマト2202愛の戦士たち #yamato2202 #第四章篇天命篇

やはり最初に、何度でも言っておきたい、「何とか諸事情問題を和解解決して原作クレジットに『松本零士』『豊田有恒』両氏の名前を復活させてくれないと、寂しくてしょうがない」
・何故新宿ピカデリーで態々観るかというと、他では感じられない、おじさんおばさん圧wを感じられるからだ。
・さて、「無慈悲な神は愛を知らず、人のみが愛を知る」昨今個人的にこのフレーズが気になってしょうがないが、今回も鑑賞中、このフレーズが頭を離れなかった。
・フレーズといえば「ヤマトの諸君」以下、宣伝でも頻出する、あまりにも有名なデスラー復活の決まり文句が、こういうシチュエーションでラストに出てくるとは全く読めなかった。これは本当に驚いた。
(以下ネタバレあり)
・サーベラーにここまで凝りに凝った設定を背負わせたのにも驚いたし、さらにガトランティス人全体にここまで設定をしたり、とにかく、アイディアに手抜き無し、次から次へと繰り出される趣向の数々に飽きることがなかった。
・テレザードのアイディアだけでなく凝りに凝ったwビジュアルも見応え。
・そしてテレサ、反物質を越えてラプラスの悪魔wに設定を変えた上に手塚治虫の「火の鳥」もかくやと思わせる(多分)縁=円=循環型の仏教的思想を語らせるところまでの徹底ぶり。
・そして日本の声優陣の最高水準の芝居の素晴らしさ。
・手抜きのないエンターテインメントの充実っぷり。

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2017年9月 3日 (日)

アニメ感想: #gundam #origin 「ガンダム ジ・オリジンⅤ 激突 ルウム会戦」

配偶者と本日新宿ピカデリーで「ガンダム ジ・オリジンⅤ 激突 ルウム会戦」を観た。遂にガス虐殺とコロニー落としのブリティッシュ作戦。観る方が期待するものが、「ヤマト」とは自然に全然異なるものになっているのを体で感じる。その期待通りの「痛さ」に涙する。
安彦の漫画原作は既読だけれど、実際に動くシャアの赤いモビルスーツの目の覚めるようなアクション、の前に、一瞬目を閉じ、かっと見開いて一気に動き出すシャアをゴーグルではなく、素顔で見せる、緩急の転換がいい。アムロはまだ無気力児童だけれどw、ドズルが、セイラが、戦争で凶暴な顔に変る「痛さ」、開戦前夜、クラブで一曲弾きながら歌い涙するハモンの哀愁とレトロ感覚、戦争アクションの大きな流れと人々の感情の変化のいずれもやっぱり「ガンダム」の痛みは見応えがある。

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2017年6月25日 (日)

アニメ感想:劇場版宇宙戦艦ヤマト2202愛の戦士たち #第二章発進篇」 #YAMATO2202

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2017年2月26日 (日)

アニメ感想:劇場版 #宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち #第一章嚆矢篇」

2月26日新宿ピカデリーで、配偶者と鑑賞してきた。ここで観るのがいいのは、「2199」の時程ではないにしても場内のおじさんおばさん臭が濃いのが、今時のアニメと違っていいw。(以下ネタバレあり)
一本の長編映画と違い、今回は1、2話ということで、ディティール補填と掴みを色々と盛りだくさん。
特色は、「2199」の初リメイクの期待と不安、緊張とは当然異なる空気だったが、私的には先ず「痛い」ということだ。ただ悪いことではない。「2199」の時は、福島原発事故の記憶もまだ生々しく、かなりあいまいにした要素を出してきた。
先ずはつかみ。いきなりズォーダー大帝が「愛」の必要性を唱えて唖然とさせ、ガミラスと地球連合軍でガトランティスと威勢よく、宇宙戦争の真っ最中。ガトランティスが占拠した浮遊大陸の奪還作戦で、密かに開発された拡散波動砲をアンドロメダで試射して「これが3年間の答えですか」と森雪に叫ばせる、結果としてまたしても口火を切ったのは地球ということになった。中からガトランティスの大戦艦が飛び出してきて、オリジナルの最後のヤマ場を一番先に持ってきた。一気に地球へワープしそのまま墜落を仕掛ける、これを追った古代の戦艦が落下軌道から押し出そうとするアクション。これにドック入りしていたヤマトが波動砲をぶっ放し、消滅させる怒涛の展開。
ここにテレサとテレザードを絡めて、事情を知っているのはガミラスだけ、アンドロメダの進宙式では、同盟関係とはいえガミラスと地球の相互の疑心暗鬼を描き、古代と接触を試みるガミラス大使館・・・とスパイ映画のお約束まで緊迫感は途切れず。
この間に一番痛いのは、誰もが「2199」を観た時に感じた不安、原田真琴の妊娠で生まれた子供がやはり「遊星爆弾症候群」二次障害。前作では「放射能障害」という言葉を誤魔化した、ひよったときつい評価もあったけれど、何をさしているかは明白。
お楽しみ企画としては、森雪の普段着がオリジナルのデザイン(あれ当時話題になった有名女性ファッションデザイナーの作)に依っているのと、EDテーマは劇場公開版限定でジュリーの「ヤマトより愛をこめて」のオリジナルを流していること(カバーやリメイクではない)。
寂しいのは原作にやはり「松本零士」「豊田有恒」両氏の名前がないこと。ここは再度和解して何とかしてくんないかなあ。

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