カテゴリー「書籍・雑誌」の記事

2017年1月 4日 (水)

本感想: #仁木悦子 #少年小説コレクション #論創社

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Photo C91 コミケで購入した同人誌を読んだ後は、論創社の「仁木悦子少年小説コレクション」全3巻を読む。当時の時代背景風俗をうかがわせて、読みながらノルタルジーに浸る。当時の挿絵も再録されているがこれも味わいがあって実にいい。ミステリにとどまらず大井三重子名義の童話も含め小説技巧は言うまでもないとして、印象的だったのは、童話の執筆期間の長さと作品数、ミステリは盗難よりも誘拐、拉致、行方不明、失踪の類とそれに伴う「ピストル」「麻薬」の使用場面が多かったことだ。これも高度経済成長前、中という時代背景の影響があるのかもしれない、或いは誰か考察しているか追々調べ、考えてみよう。
しかし書誌研究作業というのは凄い。あらためて圧倒されました。

 

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2016年5月 9日 (月)

本感想:日本会議の研究(菅野完)扶桑社新書

思うところあり、本書を1925年生の私の親父に読ませて見た。そうしたら、約10年前に亡くなった弟(私の叔父)が晩年、日本会議に心酔して県大会が開催される度に参加していた、というのだ。あまりに日本会議を絶賛するので親父が「深入りしない方がいい」と諌めたら怒りだして叔父が翌年亡くなるまで絶縁状態になっていたというのだ。
本書でも同会議は決して強大な組織ではないと書かれているが、ポイントはこの裾野、末端の広がりと浸透振りだろう。組織の上、背後が強大な権力を掌握しているとか影で操っているとかいう話ではない。大衆のネットワークが、むしろ頼りない代表、為政者を支えているという、大衆民主主義の怖さだ。ある意味で舞台が役者を作るように、大衆がとんでもない為政者を生み出し育ててしまいかねない、という危機が今リアルに起きつつある。

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2015年1月 3日 (土)

本感想:エラリー・クイーン「ギリシャ棺の謎」中村有希・訳。創元推理文庫。

国名シリーズの新訳より一冊。クイーンの国名シリーズというと私はおそらく30年以上前、井上勇訳版「オランダ靴」をやはり創元推理文庫で読んだきりだ。
今回気まぐれに読んだ感想は、本作に関しては長い、とにかく長過ぎるという印象だった。これが「オランダ靴」の次の作品だったのが興味深い。オランダ靴は、極めてシンプルな謎解きで、当時の私は犯人が分かったからだ。例えば、推理作家の故・都筑道夫は「オランダ靴」はフレドリック・ダネイの趣味が濃く出て本格推理の構成がスッキリしている所を評価していた。
作者エラリー・クイーンも、当時「オランダ靴」は犯人が分かりやすかったとか言われて発奮、次の「ギリシャ棺」では絶対に犯人が分からない構成を狙った結果この長さとなったのかもしれない(笑)。

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2012年6月 1日 (金)

本感想:「なれる!SE」シリーズ。夏海公司・作。lxy・イラスト。電撃文庫。アスキー・メディアワークス。

ITサービス業界から流れてきた噂を聞いて、購入してみた。驚いたね。ラノベに突如現れた情報サービス業界小説。これをよんでいると、あるSF小説を思い出す。
ウイリアム・ギブスンのSF「ニューロマンサー」がハードボイルドの文体を借りて、都会ならぬ電脳世界を彷徨した後、日本に上陸した。その影響下に現れた日本SFのビジョンの一つが東野司の「ミルキーピア」シリーズだった。ネットもぐりという超能力を持つ主人公のプログラマーと、彼が勤めるソフトハウス(この呼び方もう使わないかな)「ミルキーピア」のヒット商品、バーチャルアイドルソフトのキャラクター「京美」を中心として、コンピューターネットワークを縦横無尽に駆け巡り、怪事件を解決するSFシリーズだった。
時代は変わり、もはや情報サービス業界はSFである必要はなくなったのね。あえて業界ファンタジーというべきは、この主人公、呑み込みの早い新人SEと、彼を取り巻き、魅力的な女性SEばかりが活躍するところだ。業界SE出身の作者の願望と、ラノベで小説を売る市場戦略とが半々なんだろうな。

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2012年4月29日 (日)

本感想:「ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて」安田浩一

在特会のことは、被害者意識、迫害妄想、承認欲求etcと本書の中でも使われている言葉群で私も評価してきたが本書を読んだ今は、ブルーハーツの「トレイントレイン」の一節のみが頭の中に響く。『弱い者たちが夕暮れさらに弱いものをたたく その音が響きわたればブルースは加速していく』

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2012年1月 7日 (土)

本感想:オレンジ党 最後の歌 天沢退二郎 作。林マリ 画。

関連記事はここ。遂に、ハマる奴はロングセラー的にハマる(笑)天沢退二郎のファンタジーの新作が、それもオレンジ党の新作が、しかも復刊ドットコムから著された。復刊ドットコムの壮挙だね。復刊ドットコムから直接購入すると特典として本文中の詩の未定稿コピーが挿み込まれてきた。
前書きと後書きを読むと刊行自体が遅れたのは個人的な事情だったようだが、2011年3月11日を契機に加筆修正したのも間違いないのは読めば分かる。
物語世界に表面上は、パソコン以降インターネット、ケータイは別世界のことだ(存在しない訳ではなく風刺はされている)。コンビニも(コンビニ文化自体と言うべきか)存在しない。
しかしシュールで土俗的いや、いっそ泥臭い物語は豊穣でむしろリアルさを感じさせるのも相変わらずだ。政治や社会の寓意も随所に現れている。
それでもなお、物語の語りを超えて作者は読者に呼び掛けずにはいられなかったようだ。圧倒的な現実の前に、言葉を失わず、言葉の力を信じ、創造力とその結晶である物語の力を忘れるな、と。
しかし私には前作(と思うが)「ねぎ坊主畑の妖精たち」(筑摩書房)がなんとも閉塞的、陰鬱な雰囲気に満ちていたので、オレンジ党の冒険はむしろ痛快だ、例えその行く手がトンネルの連続であろうとも。

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2011年11月14日 (月)

本感想:初恋ダイアリー 片思い(ポプラ社)より「アイの花ことば」(濱野京子・作。サトウユカ・絵)

ポプラ社は昨今、次々と新しい企画を打ち出して話題を振りまいているという印象だ。ポプラ社の児童書の新叢書、「初恋」シリーズの第1巻ということらしい。新趣向として一冊の本に3人の作家による独立した作品が収録され、しかも各々がシリーズ化され、この1巻「片思い」、第2巻は「告白」という共通テーマで話が続いていく(第3巻は「デート」の予定だそうだ)。
雑誌とアンソロジーのハイブリッド形式とでもいうところか。1冊毎に変化をつけて読者の児童を飽きさせないようにしつつ、さらに次巻への期待で引っ張ろうという狙いだろうか。
その新企画に、濱野京子が参加してまた新たな挑戦を見せた。初恋がテーマと言えば、デビュー作「天下無敵のお嬢さま」のヒロインは、初・・・どころか惚れっぽい小学生だったけれど、同シリーズは作者自ら作り込んだ世界だったのと対照的に、今回は、極めてシンプルに、与えられたテーマ、条件で、いわば自分の外側にある既存のものを使って創作を試みた、と読めた。
花の好きな少女を主人公に、当然花と花ことばを絡めて物語が進んでいく。私事だが、自宅近くに花屋は、本当に多い、でも花のことは全然知らないが。
本当に驚くほど知らなかった花の名前が頻出する。読んでつくづくと思う、初恋のテーマに小学生の男の子は主人公にはなれない、女の子の方が、先に大人になる。
さらに中年の意地悪い私は、読みながら女の子にそんな男の子は、さっさと振っちゃえ忘れちまえ、とツッコミを入れてしまう。
今巻のテーマ「片思い」を通じて、昨今の世相で希薄化が懸念される、直に会って話し合うコミュニケーションの重要性を訴えているようだ。ITネットワークの発達で隣人ともメールで会話するような今の世の中には、噂や疑心暗鬼ばかりが先行し、、やはり先ず会って話し合えば直ぐに誤解は解ける、全身全てを使って想いを伝える力を皆持っている、それを使うのは素晴らしいことなのだ、そんないい気分になる読後感だった。

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2011年9月24日 (土)

アニメ映画感想:「マルドゥック・スクランブル 燃焼」

テアトル新宿にて、24日から5:30の回が追加、これを待ちかねていたように、配偶者と行ったのだが意外に、空いていた。そうか、今回のくだりは、アクションでは少なく、カジノでのギャンブル場面がメインだから、全体として地味だったっけ。
原作は、バロットは、カジノで老女性スピナー(ルーレット回す人)との勝負を通じて人生を学ぶ、という場面で、小説なら両者の勝負と対話の叙述でけっこう読ますのだが(にしても、SF小説としてはかなり異色な話だった)それを映像ではどう演出するのか、興味津々だったが、意外と正攻法であった。勿論、繊細な映像とテーブル上のゲームの変化に富んだ動きで飽きさせないが、やはりこの場面を生かしたのは、バロット=林原めぐみとスピナー、ベル・ウィング=藤田淑子、の両演技派の丁々発止の遣り取りが緊張感充分。特に藤田淑子のベル・ウィングが人生の重みを伝えるのはさすが、素晴らしい。
今回も、「有用性」という名目を見出す行動を通して人間存在のアイデンティティの意味を問うテーマは、「楽園」の中でのみ生きる青年とイルカの異形ペアを描くことでさらに、追及されているが、この点は描き方としては、今日的にはもう、SFとしては定石的な描き方かもしれない。この十年位でもSFのビジョンは格段に深化、拡散したということか。

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2011年8月21日 (日)

bk1がトラックバックの受付終了、30日には既存も削除

トラックバックという仕組みはスパムの温床で負担、というところか。トラックバックは個人的には活用させてもらっていたので残念。個人的と言えばオンライン書店はbk1を優先的に使用してきたのだけれど、段々ひいきする理由がなくなってきたかなあ。

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2011年4月 9日 (土)

本感想:木工少女(濱野京子)講談社(装画・ひらいみも、装丁・田中久子)

昨年から矢継ぎ早に新作を世に問い続ける作家が今回は懐かしい木の香りのする舞台でリアルドラマを展開している。書名から予想できる通り、林業の村で都会っ子のヒロインが木工制作の魅力に夢中になるのだが、「木」をきっかけとして、林業の村の現実と夢の狭間で揺れ動く、高校生やク ラスメートの事情や心情にも目を向けていくようになる。このプロセスがシンプルな作者の叙述で描かれていく。それらは木を通じての人と人の連鎖だ。
どこか冷めた視線の今時の小学生といった感じのヒロインを語り手にしたというのも、この作者としては新境地だが、村おこし事業として全寮制少数教育の単位制高校を始めた村という舞台が実に興味深い。ヒロインの父親はここの教師として赴任してきた、だからヒロインの交流する友達も同級生よりこの高校生達の場面が多い、というのが面白い。しかし物語のメインは、妻子と別居して、木工アートを制作する男性とその工房との交流なのだ。多感な時期の少女が始めて男性を意識したのかもしれない。
「木」との「対話」を通じて、他人にも心を開いていく、同時に他人の心に共感を覚えていく、それは久しく忘れていた、人間社会の成長の過程でもあったのではないか。この物語から例を抽出してみると、木に触れる=木工=手を使う訓練=けがで自分の体で危険を知り、安全対応を学び集中力を養う=木製品を再認識する=産業としての林業を意識し学び始めるetc.・・・。
あとは、脇役だが小学校の先生が妙に子供っぽいのが楽しい。作中の高校生や小学生が色々と進路に悩んでいるのと対照的だ。裏読みすると今時の気苦労の多い先生という立場への応援、癒しかもしれない。懐かしいのは小学校の演奏会、中でも木琴だ。自分もマリンバを叩くのに苦労したことがあった。

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